聖ヴィート大聖堂

聖ヴィート大聖堂は、プラハで最も大きく、最も重要な教会です。ここでは礼拝のほか、チェコ王、女王の戴冠式も行われていました。ここはまた、国の守護聖人、君主、貴族、そして大司教の埋葬の場でもありました。

聖ヴィート大聖堂

現在立っている聖堂は、この場所に建てられた同名の教会としては三代目のものです。最初の教会は925年頃、ヴァーツラフ公により創設されたロマネスク式のロトゥンダで、これに1060年、双塔を有する三身廊のバシリカが取って代わりました。この教会の意義は、特にプラハ司教区の制定(973年)、および聖堂参事会 - 後に重要な文化・管理組織となる聖ヴィート聖堂参事会の創設後に急激に増大しました。

1344年、カレル四世の命を受けてゴシック式大聖堂の建設が開始されます。最初に建築を担当した建築家アラスのマティアーシュ、そして二番目に担当したペトル・パルレーシュは、礼拝堂に囲まれた内陣、聖ヴァーツラフ礼拝堂、黄金の門、大南塔の下層部分を完成させました。大南塔は、ペトル・パルレーシュが建て始めたものですが、完成には至りませんでした。最初に意図された高さには、16世紀のルネッサンス式回廊および兜型の屋根が追加されてやっと到達しましたが、屋根は18世紀に現在の丸屋根に変えられています。

大聖堂の建設は1419年、フス戦争により中断され、結局その後何百年もの間完成されることはありませんでした。しかしながら、君主の中には建設再開を試みた者もあり、この期間例えば聖歌隊席が追加されました。但し大聖堂のファサードは、一時的に閉鎖されていました。

やっと大聖堂の完成工事が開始されたのは、19世紀も後半に入ってからのことでした。工事に乗り出したのは聖ヴィート大聖堂完成組合で、古い部分の修築とネオゴシック式の大聖堂の完成作業が進められていきました。こうして1929年、大聖堂は遂に聖別式を迎えます。但しその後も聖堂内部が何度か修築されています。

大聖堂見学者は、第二と第三の中庭の間の通路の正面、西側の入り口から入ります。ブロンズの扉は、聖堂の歴史、そして聖ヴァーツラフと聖ヴォイチェフの伝説をモチーフとしたレリーフで飾られています。

大聖堂のネオゴシック部分は、身廊と、礼拝堂が並ぶ狭い側廊、そしてその礼拝堂のステンドグラス、および外陣の北翼から成っています。第三の中庭に面した入り口は、黄金の門と呼ばれており、礼式などの場合に使用されています。

大聖堂の内陣、主祭壇の前には、王家の霊廟があり、その下、大聖堂の地下には、王家の埋葬所があります。内陣は、ゴシック式の礼拝堂に囲まれている形になっていますが、これら礼拝堂の中には、君主やチェコの守護聖人が埋葬されているものもあります。

聖ヴァーツラフ礼拝堂

聖ヴァーツラフ礼拝堂は、聖ヴィート大聖堂の信仰祭儀の中心となっている場所です。最も重要な国の守護聖人が埋葬された、大聖堂の中央部に位置するこの礼拝堂は、その壮麗な装飾と建築学的に異なるコンセプトにより、その特異性が強調されています。宝石に覆われた壁と、イエスの受難物語を描いた壁画は、14世紀の礼拝堂創設当時のものです。壁にはまた聖ヴァーツラフの生涯を描いた絵も見られますが、これはリトムニェジツェ祭壇画家の工房の作品とされています(一連の作品は1509年に描かれたものとされています)。
礼拝堂の南西側にある扉の向こう側には、チェコの戴冠宝物が収められた王冠保管所があります。

フォトギャラリー

Katedrála sv. Víta - Svatováclavská kaple
Katedrála sv. Víta - náhrobek sv. Jana Nepomuckého
Katedrála sv. Víta - sarkofág s ostatky Karla IV.
Katedrála sv. Víta - pohled do neogotické části s rozetou
Katedrála sv. Víta - pohled na strop ve Svatováclavské kapli
Katedrála sv. Víta - celkový pohled od rozety
Katedrála sv. Víta - pohled ze III. nádvoří Pražského hradu
Katedrála sv. Víta - Zlatá brána

配置

城内マップ